限怪
目の前の少女が、小さな口を懸命に動かしている。『う・た・が・す・き』……どうやら彼女はそう言いたいようだった。なぜ声に出して言わないのだろう。ここは静寂が求められる場所でもないのに。
彼女は、どうやら声が出せないらしかった。理由はわからない。不意に涙がこぼれそうになったのを懸命にこらえた。歌が好きな少女が、声を奪われている。世の中に理不尽は多々あれども、これは最たるものの一つではないのか。
俺は少女にかける言葉を見つけられないまま、愛想笑いを一つ残して立ち去った。
何ヶ月かが経ったある日のこと、微笑みながら『ま・た・あ・い・ま・し・た・ね』と口を動かす少女が目の前に立っていた。俺はいつもの公園のジャングルジムの脇で飯を食っていた。「ああ、君はいつか、歌が好き、と言っていた……」、そういうと彼女は満面の笑みを返してくれた。
……二度の偶然はない。二度会ったこの子の力になろうと決めた。
彼女は今、「メリークリスマス」と俺に微笑んでくれている。声を聞くたび泣きそうになる。俺はあと何回泣くのだろう。そろそろ笑わなければ。
彼女の…… 望月聖の歌は、もうすぐ聞こえてくる。