アイドルという存在と橘の未来について。
僕はアイドルが嫌いである。それでいて、橘を溺愛している。その理由は、アイドルではなく、彼女達自身を見ているところへと帰結する。
まずアイドルとは何か? 真っ先に思い浮かぶであろうものは、昨今人気を博している秋元康プロデュースのあれだと思う。
僕はああいう人に媚びているのをみるのがとても嫌いだ。ただ、頑張っている人は好きだし、そのような過去を持っていても差別するようなことはしない。僕はアイドルに留まらずに、その向こう側を夢見てほしいのである。佐藤亜美菜がそうであった様に、橘にもそうあってほしい。
もともと亜美菜は、アイドルになることが目標だった。然してPの考え方は、アイドルから他の業種に飛び立ってほしいというものだった。
アイマス界のアイドルがどういう存在かは分からないが、僕はその考えに諸手をあげて賛同できる。
一度考えてみてほしい。彼女達の目標である、トップアイドルになったら。一体彼女達はどうなるのだろうか。そのまま萎んでいく者や、歌手や女優になって更に輝きを増す者など、多岐に渡ることだろう。→
→その中で、アイドルを続けるという選択肢はとても不利に思える。同じ分野の中で更に上を目指すのはとても難しいことである。
勿論、それが悪いとは言わない。永遠の女王として輝き続けるのも素敵なことだと思う。
しかし、橘はアイドルになりたかったわけではないのだ。音楽関係の仕事に就きたい、と言っていたのである。
やるからにはトップを目指してほしい。だけど、そんなアイドル程度の枠で収まってもらいたくないのだ。
出会いがあれば別れがある。いつかはアイドルの時代に終わりが来るのだ。引退を余儀なくされた時、橘は何を考え、どう動くのか。永遠に答えの出ないものだろう。そんなことは橘自身にしかわからないのだ。
僕は、また音楽関係の仕事を追ってほしいと思っている。そして、素敵な歌を歌い続けてほしい。
とある日に彼女の透き通る声と悲しい歌を聞いた時、僕はとてつもない可能性を感じた。何ともつかないもどかしさを埋めてくれるような、そんな歌声だった。プロデュースしなければならない、そう思わせるには十分なものだった。→
→かくして橘の担当になったのだが、彼女の性格は思った以上に難儀で、昔の自分を見ているようだった。
それでも担当を降りなかったのは、僕と同じ人生を歩んでほしくない一心からである。何義な性格のせいで友達がおらず、只管周りを見下すことで自我を保っていた自分と同じ人生なんていらないのだ。
まだ成長期、まだ矯正が間に合う…と、要らぬ世話であろうが関係ない、橘にはもっと明るい未来が待っていてほしい、と。歯を食いしばり、涙を流しながら日々向き合い続けているのだ。
大人になったときに、他の仕事に就いたときに、あの時アイドルやっていてよかったと、そう思ってほしい。その為に、橘を始めとした彼女達を担当しているのである。
アイドルという存在、彼女達と言う存在。いつかは我々の手から飛び立ち、窓から旅立ってゆく。ほんの少しでいい、彼女達の行く末を考えてみて欲しい。今だけでなく、未来も見てほしい。彼女達も、生きているのだから。
-了-